挑戦を、本気で楽しめる時 それが、最も輝いている時

史上最年少の14歳で全日本125ccクラスチャンピオンに輝いた、日本期待の2輪ドライバー、中上貴晶。しかし、日本の頂点に立ち、16歳から2年間、世界への挑戦権を手にしてすぐ、分厚い壁に跳ね返された。そして、21歳の今また、世界二輪選手権である「MOTO GP」で、世界に挑んでいる──。

「タカ、いけー!」。

番組解説の歴代世界チャンピオンたちが、モニター越しに熱くなっている。

ここは、東京港区・日本テレビのスタジオ。世界二輪選手権である「MOTOGP」全18戦が実況衛星生中継されている。同GPは3クラスあるが、いま日本で最もホットな話題はMOTO2クラスの中上貴晶選手(21歳)の走りだ。

今シーズン後半戦になり、2位が連続4回。あと一歩で「GP初優勝」に届く。彼の一挙手一投足が、見るものをワクワクドキドキさせる。

シリーズ残り4戦、ツインリンクモテギを含めたアジアツアーへの出発前、所属チームの本拠地イタリアから帰国した中上選手に、様々な質問を本気でぶつけてみた。

けっして、振り返らない

レース中、トップスピードは時速300キロ。激しいバトルのなか、肘が路面につくほど、バイクを倒すコーナーリング。その状況で中上は「何を見ているのか?」。それは当然、前を走るライダーたちの動きだ。具体的には、タイヤの消耗具合、ブレーキングとコーナーの立ち上がりでのマシンの挙動、さらに相手の心理だ。MOTO2は、全車が同じ規定の排気量600ccホンダエンジンを使う。車体は自由だが、各種の規定値が細かく指定されている。走行タイムの差はライディング技術と微妙なマシンセットアップの差で決まる。つまり、楽なレース展開など有り得ないのだ。走行中に相手の走りを分析しながら、自分が優位なレース展開に持ち込めるように、工夫しなければならない。そうしたなかで、ライダーの多くが集団の中での自分の位置を確認するため、走行中に振り返る。

対して、中上はトップに立った時ですら、けっして振り返らない。後続との差はピットのサインボードを頼る。「プラクティスと予選で"このペースなら走れる"という確認し、冷静に走ります。いつも限界の走りだとミスが出る」。レースは自分自身との戦いでもあるのだ。

彼が振り返らないのは、レース中だけではない。幼少期からの輝かしい戦歴に、また16歳で初めて世界の舞台に立った"あの頃"に対しても、振り返えろうとはしない。そこを今回、未来を語るために、あえて振り返ってもらった。

4歳で両親からポケバイを与えられた。「最初の頃は、レースに出てもビリっけ。(親とバイクに)乗せられていました」。練習し、走りを工夫するなかで勝てるようなった。

「8歳か9歳の頃には、世界チャンピオンになりたいと思っていました」という。そうした幼少期からいま現在まで、彼の気持ちは変わらない。

「バイクに乗って速く走る。それが楽しいんです」。ポケバイ、ミニバイク、そして全日本ロードレース選手権とトントン拍子。2006年には日本国内史上最年少の14歳で全日本125ccクラスチャンピオンに輝く。そして16歳から2年間、世界選手権125ccクラスという桧舞台に立った。しかし、結果は惨敗。バイクをどう仕上げら良いのか、レースでどう戦えば良いのか分からなかった。英語も未熟で、何をどうして欲しいのかをチームに伝えられなかった。また、その当時の日本の二輪ロードレースは、60~90年代に比べ参加者数の減少で、世界との"ライダーの技術レベル差"が拡大していた。

その差が、中上を直撃した。その苦い経験は、体格も精神も強靭になった21歳の中上のカラダの奥底に刻まれている。

だが、その1度目の世界選手権の体験を、2度目の挑戦中のいま、振り返ることはまったくない。「いまの自分とはかけ離れ過ぎています。思い出しても、マイナスにはなりませんが、どこをプラスして良いのか...」と、本音を漏らす。彼の言葉通り、当時の映像を確認すると、ピットでの中上の表情は"子供"だ。気持ちもカラダも"いっぱい、いっぱい"に見える。いま筆者の目の前にいる魅力的な人物とは、まるで別人だ。

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