コロナ禍で崩れ去った「価値観」 信じたものを俯瞰で見る大切さ

村田沙耶香が描く小説の世界は、人が無意識に持つ常識や固定概念を覆すディストピア。芥川賞受賞作『コンビニ人間』は30か国以上で翻訳され、その世界観は国境を越えて広がっている。コロナ禍で生活やモラルが一変してしまった現状は、村田が紡いできた作品にも似ている。村田自身、今をどう見ているのか。そしてこれからの未来をどう描いていくのか。

文・油井なおみ

 

村田 沙耶香(小説家)

働くことの尊さと
職業と考え過ぎないことの純粋さ

2003年に『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀作を受賞し、文壇にデビューした村田沙耶香。その後も発表する作品が次々と高い評価を受け、2016年には『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。衆目の一致するところの受賞であったが、大学在学中からコンビニエンスストアでアルバイトを続けているという経歴に、揶揄するような報道や世論もあったという。

「"コンビニ店員が"といわゆる職業差別的な声もあったようで。コンビニ店員って、結構大変な仕事をやっていると思うのですが、差別的な言動をされてしまう場面もあるんです」

接客はもちろん、納品などの他、客からのクレーム対応にも追われる。

「本部からメールで地域店舗のクレーム一覧が送られてきたことがあるのですが、"コンビニ店員は負け組なのに逆らうな"というものがあって皆で驚いたことがありました。大学生のバイトの子が"そんないい大学に通っているのに何でコンビニなんかでバイトしているんだ"と絡まれ、悲しい気持ちになったことも。今はコロナでさらに大変な状況だと思うと苦しいです」

村田は受賞後もコンビニでのバイトを続けた。デビュー以来、多忙な作家生活を送る中、なぜ両立を選んだのか。

「コンビニが本当に好きで。性別、年齢、国籍を問わず、どの店でも同じ仕事をするということにとても惹かれるんです」

誰にも等しく与えられたルールに従い、整然と仕事を進められる心地よさ。さらに決まったシフトがあることで生活リズムが整い、執筆が進んだという。

そして、もうひとつの大きな理由は情緒の安定。村田はデビュー後しばらく、小説家であることや受賞について、母親以外の誰にも知らせなかった。

「『授乳』は、仲の悪い母と娘の話だったので、母にだけはこっそり"お話に出てくるお母さんは、お母さんのことじゃないからね"と(笑)。でも他は、" 小説家"というと"夢を追っている人"という風に勝手にストーリーを作られて、美化されてしまうのがすごく怖くて。私自身、美化された中で美しいことをやっていると勘違いしてしまうのも怖かったんです」

小説家として"先生"と呼ばれることに、嘔吐するほど違和感を覚えた。

「最近は随分慣れましたが、今も持ち上げられたり、偉い人のように扱われることが恐ろしくて。コンビニは、忙しいお店の中で、店長も新人もなく一緒に懸命になれる。フラットなコンビニの仕事を続けることで、情緒を安定させていたのかもしれません」

近年は作家業に専念しているように見えるが、当人はそうは考えていない。

「高校時代に山田詠美さんの作品に出会い、純文学の文体の美しさに衝撃を受け、書けなくなってしまったんです。大学生になって宮原昭夫先生が講師をなさっている横浜文学学校に通うようになり、宮原先生のお陰でまた書けるようになったんですが、実はプロになってからもしばらく通い続けていました。そこで生徒さんの一人が"いつから人はプロの作家といえるのか"というテーマで皆でエッセイを書こうと企画したことがあって。そのとき先生が"小説家というのは、職業ではなく状態だと思う"と書いていらしたと記憶しています。それがすごく腑に落ちたんです」

未だに村田は、「プロの作家だとしっかり思えていないかも」と語る。

「小説家でいただくお金って、コンビニのお給料とちがって、不安定なんです。振り込まれる時期も金額もよくわからないし(笑)。何より、小説家を職業として考えすぎると、大衆心理に創作の鍵を預けないといけなくなってしまう危険があると感じていて。そうすることで素晴らしい作品を作る方もたくさんいると思いますが、私はそうではなくて。この先、仕事が減ったら、またダブルワークするつもりです。ただ、自分は一生書いていくだろう、と。そこは変わらないと思っています」

今や世界中で作品が翻訳され、幅広い層に読まれている村田作品だが、部数が伸びない時期が長くあった。その頃にかけられた言葉が今も心の支えであり、指針になっているという。

「ある編集さんから"村田さんは売れなくていいんだ。そのまま一生書き続けたらいいんだ"と言っていただいたんです。売れなくても自分が本当に書きたいと思うものを書くことで、一緒に仕事をしたいと思ってくれる人がいる。それは本当に幸せなことだと思います」

手帳だけではなく、厚めの大学ノートにも創作メモがびっしり。ずっしりと重みがあるが、出かけるときの必需品だ

コロナで改めて自戒する
正義という名の危険な刃

デビュー以来しばらくシリアスな作品ばかり書き続けたが、2013年ごろ、海外の雑誌向けに書いた『清潔な結婚』が殊の外ユーモラスな作品に仕上がった。そこが一つの転機となった。

「海外の編集さんに、"驚いたが同時にとても笑った"と言っていただいて。そこから、笑いの奥にひっそり怖いものがあるという作品の面白さにも惹かれるようになりました」

その頃書いた作品が今年出版された短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』の表題作品。この本は、タイトルだけでなく、ピンクが基調のキラキラした表紙で、それまでの村田作品とは一線を画している。しかし、内容は狂気的な作品を得意とする村田の真骨頂。『丸の内魔法少女ミラクリーナ』に登場する主人公の友人の恋人は、男性ながら架空の魔法少女になりきり、日常生活の中で正義を振りかざし、いわゆる世直しに勤しむ。その姿はまさにSNSで他人を叩く人々、また、コロナで現れた"自粛警察"に通ずる。

今年2月に発売された短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』。表題作の他、4編を収録。中でも昨年夏に発表された『変容』は、村田の今の心情に最も近いという。ブラックユーモアに満ちた痛烈な作品だ

「何人かからも"村田さんの小説みたいになりましたね"と言われましたが、現実のほうが恐ろしかったですね。コロナに罹った家に卵を投げつけるという自粛警察の話を聞きましたが、それがいたずらでなく、正しいと思ってやっているんですよね。さらに自粛警察狩りまで現れて、混沌としましたね」

村田は「正義は危うい刃物」と語る。

「漫画や小説でも正義が勝つと気持ちがいいですよね。自粛警察として活動する人だけでなく、"自粛警察、怖いよね"と批判的なことを口にする側もそれでちょっとスカッとする。正義で人を刺すと気持ちがいいんです。だから、麻痺しちゃう。正義という刃は、常に自分を刺すべきだとさらに自戒するようになりました」

コロナ禍で個々の価値観がこれまでになく露わになったとも指摘する。

「大人になり、自分と同じ価値観を持つ人だけで自由に集まれるようになって楽になったと思っていました。でも同じコミュニティの中でも、コロナの陰謀論を強く信じている人がいたり、受け入れている情報がそれぞれ違っていることに気づいたんです。今までは自分の価値観や生き方を信じて生きていけたら幸せだと思っていましたが、そもそも自分の価値観って、どこからが本当の自分のものだったんだろう? と疑問を感じるようになりました」

価値観とは、各々が持つものと考えがちだが、「流行りの価値観」もある。

「例えば、幸せな女性のモデルケース。かつては専業主婦だといわれていましたが、仕事を持ち自立した女性の生き方がいいとされ、今またやっぱり専業主婦が幸せ、と言われたりもしています。そのとき、その生き方が幸せと言われていたから選んだ場合、本当に幸せだと思えればいいですが、その流行りが廃ったとき、どう感じるか。コロナ禍のこの短期間で世界中の価値観がぐしゃぐしゃになるのを初めて見てしまって、そんなことを考えるようになりました。小説でいろいろ書いてきましたが、コロナで改めて思い知らされたことが多かったですね」

価値観は変容していく
信じたものを俯瞰で見る大切さ

これまで女性の生きづらさ、苦しさをメインに描いてきた。

「『コンビニ人間』は海外では違う読まれ方をしていて。まず、コンビニがないので、"24時間ずっと笑顔でいらっしゃいませと言っているところが本当にあるのかい?"という面白さもあるようですが(笑)、フェミニズム的な読まれ方をされていることが多いようです。自分も無意識のうちにフェミニズム的な葛藤にずっと苦しめられてきたことに向き合いました。デビューしてすぐの頃、インターネットをチェックすれば読者の感想を知れるかも、と思って検索してみたんですが、"編集長の愛人"と根拠もないことを書かれていて。小説家は性差のない職業だと思っていたのでショックでした」

のめりこむように"思春期の女の子の苦しみ"というテーマを根底に執筆を続けてきたが、次第にそのテーマは広がりを見せてきた。

「この世界にある価値観は、変容していく、不安定なものなのに、どうしてそんなものに苦しめられるのか。その不安定な世界の根底にあるものは何なのか、知りたいと考えるようになりました。いろんな論文を読んだり、頭で考えたりもしましたが、全然わからなくて。それで、小説の中に小さな世界をいろいろ作ってみることで、その根源を知ることができるんじゃないかと思うようになって、それだけを原動力に書くようになりました。私にとって小説は小さな実験室なんです」

コロナの影響か、8月以降、若い世代、とくに女性の自殺率が急増した。

村田自身、小説を書いていないときは「苦しんでいるみんなを救いたい」という気持ちになるのだという。

「それなのに、いつも地獄のような小説になってしまって。ただ、絶望にしか救えない絶望があると思っています。私自身も苦しんだ時期が長くありましたが、その時間が今の自分を豊かにしているとも思っています」

自らを「大人になった今もダメ人間」だと評する。それでも日々生きている。

「女性だけでなく、男性も苦しんで生きているんだと思います。最初、『ミラクリーナ』を書き始めたとき、自分の考えも登場人物の考えも古くて、魔法少女に変身する男性を面白おかしく書いてしまったんです。最終的に、男性が魔法少女になってもいいじゃないか、という目線で書き直しました」

例えば、お化粧をしてフリフリの衣装を着たいという気持ちは、女性だけのものではないはずだと村田は語る。

ひとつの価値観、正義感だけにこだわらず、あらゆる目線で周りを見渡し、自分を見つめ直す。こんな時代だからこそ、大切にしなければならない感性ではないだろうか。村田の小説は常に、そんな問いかけを私たちに向ける。

コロナという激動の時間を経て、村田はまた新たな刃を持ち、自らを、そして、読者の胸をえぐるのだろう。

 

村田 沙耶香(むらた・さやか)
小説家