2020年2月号
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クリエイティブのまち青山

歴史的瞬間を見つめてきた青山通り

月刊事業構想 編集部

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江戸時代から交通の要衝として機能してきた青山通り。時代の発展に伴って変化し、まちづくりにも大きな影響を与えてきた。

1960年代後半の表参道交差点(写真:山陽堂書店)

青山変貌の契機となった拡幅

青山の中心部を貫く青山通り。道幅が歩道を含めて40メートルある国道246号線の一部を「青山通り」と呼んでいるが、現在の姿になったのは1964年の東京オリンピック開催の前年である。江戸時代から東海道に次ぐ江戸から西へ向けての重要な街道であったが、明治時代に9メートルから22メートルに拡幅され、東京オリンピックに向けてさらに2倍の40メートルに拡幅されている。

道幅が拡幅されたのは、青山通りが東京オリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場と主要な関連施設を結ぶ重要な道路と位置付けられたからであるが、高度成長期の真っただ中のモータリゼーションで交通量が急激に増加していたことも理由にもあげられる。東京都内の自動車登録台数は1959年に24万台であったのが、1965年には100万台と4倍に増加している。港区内でも1960年に約20997台であったのが1964年に33048台と1.6倍に増加している(港区史)。

道路の拡幅によって、元々青山通りに面していた商店や住宅は道路用地に供出して移転したり、またビルを建てて、1階で商売を続けて上層階をテナントとして賃貸したりして対応した住民も多い。なかには、表参道交差点の山陽堂書店のように、建物の3分の2を削って道路に供出した例もある。

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