日本初、公立美術館で展覧会 ヘアメイクをアートに昇華する仕事人

令和元年夏、日本で初めて、ヘアメイクアップアーティストの展覧会が公立美術館で開催された。華やかなイメージの反面、主役として表に出る場面は少なく、また、どんなに丁寧に作り上げても、絵画などとは違い、一瞬で消し去られてしまうヘアメイクの作品たち。それらをアートの域まで引き上げたのが、資生堂のトップヘアメイクアップアーティスト、計良宏文だ。

文・油井なおみ

 

計良 宏文(ヘアメイクアップアーティスト)

培った審美眼を信じて
美容師からヘアメイクへ

子どものころから絵を描いたり、プラモデルや造形物を作るのが好きだった。高校生になるとバンドを組み、ライブではポスターの作成からバンドメンバーのヘアセットまで計良が担当。友人や観客から高評価を得ていた。

ファッションや美容の道に進んだ兄姉の影響が大きいと言うが、計良が今の道を選んだのは自然な流れだった。

資生堂美容学校(現・資生堂美容技術専門学校)に入学して出会ったのが、当時、資生堂のトップヘアメイクアップアーティストとして活躍していたマサ大竹氏の作品。コカ・コーラの缶をヘアアレンジに使うなど、大胆でポップな作品の数々に衝撃を受けた。

「ヘアメイクだけでこんなにいろんなことが表現できるんだと感動したんです。資生堂にはファッションショーに参加するチームもあると知って、ここに入社できたらこんなすごい人たちと仕事ができるんだ、いつか自分もやってみたい、と思うようになりました」

10倍の難関をくぐり抜け、資生堂に入社できたのはたった8名。しかも契約は初年度のみ。1年で学ぶべきことを十分に吸収し、将来、資生堂を担うアーティストとなる人材と認められなければ本採用にならない。結果、残ったのは3名。そのうちサロンに配属されたのは計良を含む2名だけだった。

「当時は朝練、夜練は当たり前で、朝6時に家を出て、帰宅は終電という毎日。今では考えられないですよね(笑)。でも、それくらいしないと上達できない職人気質の世界ですし、何より憧れていた美容師として好きな仕事ができているので楽しいんですよ。その気持ちは今も変わりません」

美容師として評価されるようになり、自らも美容師であることに誇りを持っていた計良の転機となったのは、入社7年目のこと。ヘアメイクアップアーティストのグループへ異動となった。

「ヘアやメイクを担当するというのは同じですが、サロンではお客様と1対1でオーダーを聞き、提案しながら直で満足していただけるものを作ります。一方、ヘアメイクアーティストは、広告やショーなどの現場で、クライアントやデザイナーをはじめ、ディレクターやカメラマン、コピーライターなど、それぞれの立場から意見が飛び交う中、モデルを手掛ける仕事となります。最初は自分の意見が言えず、『この髪、邪魔』と言われたら、黙って直していたこともありました」

性格的に前に出るタイプではない上に、佐渡島で「のんびり育った」という計良は、それまで競争の厳しい世界に身を置いたことがなかった。

当時、師匠であるマサ大竹氏によく言われたのは『自分が美しいと思う目だけは大事にし、違うと思うものを求められたら発言しなさい』ということ。

「いろんな人の考えがあるし、また、偉い人にどこまで意見していいのかとか(笑)、いまだに悩ましいところです。でも、流されるままにやった仕事も自信を持ってやった仕事も、同じように自分の作品として世の中に出てしまいます。いずれも言い訳はできないんです」

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