なぜクリエイティブなスポットは青山に集積するのか?

クリエイティブなスポットが集まる青山。そのきっかけをたどると、初めは偶然青山に立地していたのが、徐々に青山を目指して、必然的に集積していく過程がわかる。

根津美術館

――1906年・初代根津嘉一郎邸宅跡

根津美術館がある場所は、東武鉄道など東武グループを一代で築きあげた実業家、初代根津嘉一郎(1860~1940)が1906年に手狭な神田から引っ越してきた邸宅の跡地。1万5000坪もの敷地に日本庭園や茶室が配されていた。生前蒐集した日本と東洋の古美術品コレクションを保有・展示している。本人の遺志により、1941年に根津美術館が開館した。

「当時は青山といっても赤坂村の一部で、祖母からはキツネやタヌキが出るような田舎だったと聞いています」と根津公一館長は語る。

紀ノ国屋

――1910年・果物商として創業

紀ノ国屋は、1910年青山で果物商としてスタートし、戦後は高級食品スーパーとして知られる。青山本店(インターナショナル)は、2008年に再開発によって複合商業施設「Ao」となり、2010年にJR東日本に経営がバトンタッチされた。堤口貴子社長は、JR東日本で長年「駅ナカ」事業を担当し、今年、紀ノ国屋初の女性社長に就任した。

岡本太郎記念館

――1954年・岡本太郎の住居兼アトリエ

岡本太郎記念館の建物は、元々は1954年に南青山に建てられた岡本太郎の住居兼アトリエであった。バラックや戦後の面影がまだ残る青山にあって、建築家坂倉準三による斬新な設計は目を引いたという。岡本太郎のパートナー(戸籍上は養女)である敏子と半世紀を過ごした家でもあったアトリエは、太郎没後の1998年に記念館として公開され、敏子が館長として太郎の語り部となった。

銕仙会能楽研修所

――1956年・能楽堂を青山に移転

江戸中期からの歴史がある能楽の流派、銕仙会(てっせんかい)。空襲による消失、多摩川能楽堂の時代を経て現在地に能楽堂を所有する。

「赤坂や原宿、渋谷は戦後、進駐軍がたくさんいて外国人も多く、おしゃれな街という印象。六本木もバタ臭い街。しかし、青山はスーパーの紀ノ国屋があるとはいえ、青山通りから一本入れば交通量も少なく、住宅地で静かなものでした。銕仙会も、木造平屋建ての頃は、窓を開け放って稽古をしていると、赤ん坊が寝ているからうるさい、と言われることもありましたね」と九世観世銕之丞氏。

銕仙会能楽研修所舞台

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