地域と共に成長する世界のコマツ
石川県を代表するグローバル企業、コマツ。ダントツ商品、ダントツサービス、ダントツソリューションと、圧倒的なイノベーションで世界を驚かせる同社の発祥、地盤は、社名の通り、小松市にある。地域とコマツの発展について、同社の野路國夫会長に聞いた。
小松市は銅鉱山から発達した工業都市。そこから、溶接工、鍛冶職人、機械加工メーカーなどが生まれてきた。小松製作所(コマツ)も元々そうした会社の一つだ。創業者は、吉田茂の実兄である竹内明太郎。小松市で遊泉寺銅山を経営していたが、自家用機械生産のため、小松鉄工所を開設したのが始まりだ。
「小松市には、日本有数の工業クラスターが、長い時間をかけて構築されてきている。弊社の社名のコマツは、小松市の発展の上で、生まれた社名だ」(野路会長。以下、発言同じ)。
コマツの歴史は、そのまま日本の建設機械産業の歴史だ。「当初は小松市内の一メーカーにすぎなかった」(野路会長)コマツを世界の一流企業に押し上げたのは、「品質第一の取組み」。その立役者は、農林次官、厚生大臣を務めた後に小松製作所の経営者となった河合良成だ。そして、大きく成長したコマツを待ち受けていたのは建設機械市場の完全自由化(1964年)だ。
「今のTPPのような議論はなく、政府は国内産業を見殺しにしても、力のあるグローバルメーカーを市場に引き入れることを決めた」。
コマツは倒産するだろうとさえ、世間ではささやかれた。そこで生きたのが品質重視の姿勢だ。現在と異なり、計測技術が未熟な中、ボルトの一本一本に至るまで、ライバルであるキャタピラーの製品を検証した。そして、グローバルメーカーに負けない競争力を付けていった。コンピューターも、素材分析技術も何もない時代のことである。工業都市、小松市を基盤にして成長してきたコマツだからこそ可能になったことだろう。「コマツでは、この頃からすでにQC(品質管理)を取り入れ、このことが品質第一のものづくりの土台となっている。1964年のデミング賞実施賞や1981年の日本品質管理賞受賞など、日本品質管理学会でも第一人者のポジションだ。日常の飽くなきQCのトレーニングの結果、コマツ社員は起承転結を大事にし、物事をわかりやすく説明できる人間が多く育っている。物事の分析、企画、構想が得意な社員が多い、と周囲にも高く評価をいただいている」。
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