地方都市の1商店が一躍、世界企業に!? パン・アキモトの挑戦

被災地の人々に生きる勇気を与えた『パンの缶詰』

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パン・アキモト 代表取締役なんでも係  秋元義彦氏。「もし、パンの缶詰を開発していなかったら―今は会社はないかもしれません」と笑う。激務の合間をぬって、温泉や観光で息抜きをするという

2011年の東日本大震災を契機に、日本人の防災意識は非連続的に変化していったと言われている。東京直下地震被害想定見直し、あるいは 南海トラフ巨大地震被害想定公表(最大死者数32万人3000人)などもあって、「もはや他人事ではない」という切迫感を持った人が多い。そういう環境変化の中で、今、社会的な注目を集める一人の経営者がいる。それは、栃木県那須塩原市でベーカリー「パン・アキモト」を営む秋元義彦さん(59)である。

秋元さんは、自ら開発した保存食『パンの缶詰』とそれを有効活用する『救缶鳥プロジェクト』を通じて、国内の被災地はもとより世界各国の被災地・飢餓地帯で、多くの命を救い続けている。

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本業と救缶鳥とNPOの相互連関を秋元氏が自ら図解

保存食というと、従来、カンパンに代表される最低限の栄養補給を主たる目的とした味気ないものが中心だったが、秋元さんは、「そういう絶望的になりやすい、つらい時だからこそ、心から美味しいと思えるパンを食べてほしい」と願い、一流ベーカリーと何ら遜色のない美味しいパンを作り出し、数々の困難を乗り越え缶詰化することに成功した。

実際、東日本大震災直後の被災地での『パンの缶詰』の配布は、他の支援物資の配布とはまったく異なる光景を生み出した。精神的に打ちのめされ無表情な女性が、缶詰を開けてパンを頬張るや、みるみる内に涙を流し始め、遂には号泣したり、去ってゆく秋元さんの後姿に合掌したり...「こんな時に、こんなに美味しいパンが食べられるなんて」「愛情や優しさが伝わってきて、生きる勇気や明日への希望がわいてきた」と感激した被災者は少なくない。

しかし、この『パンの缶詰』が日本国内はもとより世界各国で注目されるのは、そうした美味しさや作り手の優しさだけが理由ではない。それが、一時的な善意ではなく、継続性のあるビジネスとして成り立っているからだ。『救缶鳥プロジェクト』である。

きっかけは阪神淡路大震災

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甘納豆パンの美味しい、そして学校給食でお馴染みのパン屋さんとして、終戦直後から地元で親しまれてきたパン・アキモト。それが現在のような、世界に注目される企業へと変貌する最初のキッカケとなったのが、1995年の阪神淡路大震災だった。

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