超高齢社会を救うイノベーション 「医療の未来」を自ら証明する

大学病院に勤務した後、宮内庁の侍医を経て、マッキンゼーに入社。独立して在宅医療のクリニックを開業。独自の道を切り開いてきた武藤真祐氏は、活躍の場を海外に広げ、超高齢社会を支える新しい医療システムを構想する。

武藤氏は今年、在宅医療事業でシンガポールに進出。「海外で抜本的な医療のイノベーションがきることを、自ら証明したい」と語る

――日本では、患者宅にて診療を行う「在宅医療」の充実が求められています。しかし、急性期医療に比べ、在宅診療の分野に進出する医師は、まだまだ多くはありません。

大学病院で順調なキャリアを積んでいた武藤さんは、なぜ在宅医療を中心とした診療所を開業することを決断されたのですか。

武藤 私は医学部卒業後、大学病院に勤務していましたが、仕事をしているうちに、病気を治すだけでなく、患者や家族が幸せにしている姿を見ることにも生きがいを感じるようになりました。

治療するだけでなく、高齢者とその家族をトータルに支えていきたい。そう考えていました。

そんな時、非常勤のアルバイトで、高齢で一人暮らしの患者を訪問診療して衝撃を受けました。薄暗い部屋でゴミが積み重なり、その中で誰とも話すことなく、横たわる患者さんの姿を見たのです。今後の超高齢社会における在宅医療の必要性を痛切に感じた瞬間でした。

武藤真祐(医療法人社団 鉄祐会 理事長、Tetsuyu Healthcare Holdings Co-founder& Director)

ITで在宅医療の質を向上

――マッキンゼーを経て、2010年に東京都文京区に祐ホームクリニックを設立されました。従来の在宅医療とは、どういった点が異なるのですか。

武藤 まず、これまで在宅医療は、どちらかと言えば個人経営の診療所が多かったので、組織的な取り組みやITの活用ではなく、医師たちの並々ならぬ努力で続いてきました。しかし、急増する在宅医療の患者に対応するには、医師個人の頑張りだけではまだ不十分です。

私がやりたいのは、在宅医療を提供するだけでなく、そのためのオペレーションを磨き、多くの医師が在宅医療に参入しやすいシステムをつくることです。

祐ホームクリニックでは、院内向けのICTシステムを構築するところから始めました。効率的なルートの設定機能やスケジュール管理、カルテの口述筆記導入など、医師の仕事を一つ一つ見直して、患者と向き合う時間をなるべく増やすための仕組みづくりを進めました。

現在、東京に2つ、石巻に1つと合計3つの診療所を開いています。最初に立ち上げた文京区の診療所には600人規模の患者がおり、患者数も順調に拡大しています。

「360度評価」で複眼的な思考

――祐ホームクリニックを軌道に乗せることができた要因について、どう見ていますか。

武藤 いくつか要因はあると思いますが、大きいのは、ブレない行動のための理念があることです。

設立時にスタッフ全員の判断の基準、行動の基本となる「信条(クレド)」を定め、それを単なる言葉ではなく、常に行動に落とし込む努力をしてきました。

従来の医療機関では、医師が一番裁量を持っていて、トップダウンが当たり前です。しかし、在宅医療では、多職種でのフラットな関係づくりが大切になります。

在宅医療は、医師や看護師、薬剤師、ケアマネジャーなどがチームを組みますが、医師が見ている観点と、看護師など他のスタッフが見ている観点は異なります。きめ細かく患者をケアするには、複数の視点を重ね合わせる必要があります。

何よりも大切なのは、患者にとって、一番良いケアをプロデュースするというゴールを忘れないことです。在宅医療の医師は、治療者というより、プロデューサーとしての役割が求められます。

――しかし、長年、医療・介護に従事してきた専門職の方々は、業界の慣習・文化に慣れており、意識を変えるのは難しさもあるのではないですか。

武藤 そういう部分も、もちろんあります。そこで、当法人では、毎年に1回、職員の360度評価をしています。つまり、事務の職員も医師のことを評価するのです。

評価されることに戸惑う医師もいますし、評価することに慣れていない職員もいますが、大事なのは、組織の文化を大切にする姿勢をトップが見せ続けることです。

しかしながら、私が一人でできることは限りがあります。後から入ってくれたメンバーたちが、自発的に勉強会をつくって理念の浸透を図ってくれたりしています。支えてくれるメンバーがいて、さらに組織の文化は強化されていきます。私は、「自分だけではできないので、助けて下さい」と人に頼むのが、すごく得意なんです(笑)。

2011年9月には、被災地で「祐ホームクリニック石巻」を開設。多くの医療機関が機能を停止し、心身ともに健康に被害を受けた住民が増加していた被災地は、「超高齢社会の縮図」でもあった。武藤氏は、「在宅医療」を核に地域のコミュニティ再生に奔走した

「新しい可能性」を示す存在に

――設立当初に比べて、人材も採用しやすくなったのではないですか。

武藤 そうですね。組織が軌道に乗り始めたのは、採用力が付いてきたことが大きいと思います。

私たちの役割は、これまで視野・視座が狭かったために検討もしていなかったことを、「これって実現できるかも」と考えられるようなタネを提供することです。

例えば、今でこそ海外の大学を目指す高校生もいますが、30年前は、大学で海外に行くという選択肢は浮かびませんでした。「すでに身近に実践している人がいるかどうか」で、意識は変わります。時代を変えるために実績を示すことは、ものすごく大事です。

私自身も新しい可能性を示すような存在でありたい。大学病院を離れて開業することは、「野に下る」といったネガティブなイメージもあります。しかし、そうした道もあることを示すことで、比較的保守的な医療業界においても、それぞれのフィールドで「私も挑戦したい」と思ってもらえたらいいと思います。

――2011年には、高齢者を地域で支える包括的なモデルの構築を目指す、産学官民の団体「高齢先進国モデル構想会議」を立ち上げました。設立の狙いは、何ですか。

武藤 在宅医療を始めてわかってきたのが、企業が持つイノベーション・マネジメントの重要性です。企業には生き残っていくために、常にイノベーションが求められます。もちろん、医療機関にも競争はありますが、自由競争にさらされることがないため、比較的イノベーションが起こりづらい状況です。

私は、マッキンゼーを経験したこともあって、民間企業の良さ、民間企業にはない医療機関の良さのどちらも見えるようになりました。また、大学の持つ力も忘れてはなりません。違ったものを混ぜ合わせることで、新しいものを生み出せるという確信も持っています。

こうした背景があり、既存の「医療」や「福祉」の価値観から抜け出て、新しい社会システムを構想するために、産官学が連携する「高齢先進国モデル構想会議」を立ち上げたのです。

当たり前を疑う感覚が必要

――厚生労働省は、地域の関係機関が連携し、一体的な医療・介護を提供する「地域包括ケア」を推進しています。武藤さんが目指すのは、そうした取り組みとも近いのですか。

武藤 目標は近いです。しかし、地域包括ケアが大きなイノベーションを起こすには、現場の並々ならぬ努力が必要だと思います。

既存のプレーヤーが力を持ち、価値を生み出している中で、それを破壊するような動きは生まれにくいでしょう。例えば、地域にとって遠隔医療が必要でも、既存の事業を侵害するリスクがある場合は、積極的に導入するというモチベーションが生まれにくいのです。

今年、私はシンガポールに事業進出しましたが、それは抜本的な医療のイノベーションができることを、自分で証明したいからです。

このまま日本にいたら、現行のものを一度否定して、ゼロから組み直していくような視点は生まれにくい。でも、無理矢理にでも海外に行って、自分を変えていく努力をしないと、生み出せないものがあります。

例えば、現在の日本の医療制度は、どこまでが日本の風土・文化に支えられて成立しているものなのか。当たり前を疑う感覚が必要なのです。

――今後、海外展開をどう進めていきますか。

武藤 シンガポールは東南アジアの医療のハブであり、来年以降はマレーシアなどにも進出を検討しています。そして、最終的には、海外で培ったノウハウを日本で活かしたい。

これから日本が経験する超高齢社会は未曽有の事態で、小さな改善だけでは現在のシステムを維持できなくなる時期が来ます。破たんする前に抜本的な見直しが必要です。私も国内と海外で先進的な取り組みを続け、実績を積み重ねていきたいと思います。

毎日の朝礼では、『ドラッカー365の金言』を音読

自分が納得できるように動く

――今後、どのような新しい医療のサービスが考えられるのですか。

武藤 例えば、Amazonで本を買えば、送料無料で届きます。それは、昔ならあり得なかったことですが、それを支えるインフラストラクチャとオペレーション・システムができて、初めて実現されたことです。

医療・介護にも新しいオペレーションが求められています。eコマースのように、その人が欲しい医療サービスをこちらからレコメンドして購入してもらう仕組みをつくっても良いかもしれません。単に医療を提供するのではなく、その先にまで領域を広げて、一連のオペレーションをつくることで、全体としてサービスの質を高め、コストを下げていくことができると思います。

日本人は、どうしても部分最適を考えがちです。全体を変えるシステムをつくるには、イノベーターの視点とビジネスのセンス、熱いパッションが重要になります。

さまざまな専門分野の人たちが、どのように組み合わさればいいのか。これは大きな課題で、ゴールが見えないと、コンビネーションすら形成されません。共通の目標のもとに、連携を促進するプラットフォームをつくっていきたいと考えています。

――医療システムの抜本的な変革に向けて、大事なものは何ですか。

武藤 再三になりますが、大切なのは、明確なビジョンとゴールです。明確に将来の全体像を描いて初めて、そこに向かっていくことができるのです。

既成概念を覆すようなコンセプトやサービスをつくるのは、民間の人であることが多い。でも、制度や仕組みとして、実際に広く動かすとなったら、行政の力が必要になります。

私は、民間診療所で在宅医療を提供する1プレーヤーでありながら、同時に政府の委員なども務めていますから、ある意味両方の立場にいます。やはり、現場と政策の間を埋めることに力を入れていきたいと考えています。

私のキャリアを振り返ると、医療界から離れてコンサルタントになったり、独立して開業したり、シンガポールで事業をしたりと、一見すると紆余曲折しているように見えます。しかし、一貫しているのは、頭でっかちにならないように、自分で動いて見て感じたものを大事にして、新しいものをつくり出してきたことです。

本で何かを読んでわかった気になっても、それで人を動かすことはできません。まずは自分が納得できるように、自分で動く。それは、これまでもこれからも変わらないスタンスです。

無理矢理にでも海外に行き、
自分を変えていく努力をしないと、
生み出せないものがある

 

武藤真祐(むとう・しんすけ)
医療法人社団 鉄祐会 理事長
Tetsuyu Healthcare Holdings Co-founder& Director

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