周年企業対決 いなげやvs.イトーヨーカ堂

地域の生活に密着したGMS(総合スーパー)も、その歴史をたどると目まぐるしく変化し続けて、時代を切り開いてきたことがわかる。創業120周年のいなげや、100周年のイトーヨーカ堂の歩みを見る。

創業100年を超えて暮らしを支え続ける2つのGMS

巣ごもり需要の拡大で、GMS(総合スーパー)は食品部門が好調で、5月単月の各社売上高は軒並み前年同月を上回っている。首都圏に135店舗を展開するいなげやは、客数こそ94.6%だったが、売上高が115.8%、客単価は122.4%となった(食品新聞調べ)。

今年創業120周年を迎えるいなげやの歴史は、1900年、干物の引き売りをしていた猿渡波蔵が東京・立川駅前に開いた「稲毛屋魚店」に始まる。多摩随一の繁盛店となって、戦後は息子の猿渡源二郎が株式会社いなげやの初代社長に就任、産地開発や単品大量販売のスタイルを確立した。1950年代は、二代目社長・猿渡栄一のもと、セルフサービス方式とドミナント戦略に力を入れ、三代目・猿渡清司の時代にはチェーン網を強化して、1988年には100店を達成している。

1990年代には出典エリア集約を強化し、四代目・遠藤正敏のもと、2000年代は、オーバーストア時代に対応すべく、商圏に合わせた新業態の開発やドミナント再構築を進めた。オーバーストア化の進行、少子高齢化と人口減、共働き世帯の増加といった社会環境の変化とともに、五代目・成瀬直人は、生鮮食品中心から惣菜中心のスーパーへの変革を果たしている。

一方、いなげやより商圏が広く、関東を中心に20の都道府県に135店舗を展開するイトーヨーカ堂は、今年5月、売上高、客数ともに前年を割ったが、客単価は112.4%となった。 

1920年、吉川敏雄が、東京・浅草に開業した「羊華堂」に始まるイトーヨーカ堂は、今年で創業100年周年。吉川の甥で、店を手伝っていた伊藤譲と、その弟で現名誉会長の伊藤雅俊が店を譲り受け、戦後は北千住で2坪の売場から再スタートを切り、1948年に「合資会社羊華堂」を設立した譲の死後、雅俊が承継した。今日の社名「株式会社イトーヨーカ堂」となったのは1971年のことで、現在も続く鳩のマークも導入された。

1970年に雅俊の誘いで入社した鈴木敏文氏は、のちにセブン-イレブンを立ち上げて両社の経営者となり、その後40年にわたって巨大な小売産業を率いて「小売の神様」と呼ばれるようになる。2000年代、GMSで利益率トップとなっていたイトーヨーカ堂は、セブン-イレブン・ジャパンとデニーズ・ジャパンによる持株会社セブン&アイ・ホールディングス設立とともに、その傘下に入って今日に至る。鈴木敏文氏によれば、イトーヨーカ堂のために必要な改革だったという。創業100年を経て、駅前の立地が多いイトーヨーカ堂ならではの強みを、次の100年に向けてどう活かしていくかが注目される。

GMSは食品から衣料まで幅広い品揃えによって日本の高度経済成長期を支えてきた業態だが、今日、食品ディスカウントストアの好調、ユニクロやニトリといった専門店の台頭、ネット通販の拡大などを背景に、ビジネスモデルの見直しを迫られている。消費環境の変化に応じて目まぐるしく変化と進化を繰り返してきたGMSだが、今後は「アフターコロナ」の社会変容への対応も大きな経営課題となりそうだ。

両社概要

いなげや

創業 1900年 (設立1948年)
本社 東京都立川市
代表 本杉 吉員( 社長)
資本金 90億円
従業員数 12, 519名(2020年3月)
事業内容 小売業(生鮮食品・一般食品、家庭用品・衣料品等)
店舗数 135店舗
関係会社 ウェルパーク、三浦屋、いなげやウィング、
いなげやドリームファーム、サンフードジャパン、
サビアコーポレーション

出典:同社ホームページ(従業員数:リクナビ2021)

 

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