実践に役立つ学術フォーラム 自ら健康増進に取り組む社会を構想

特定NPO法人「次代の創造工房」は、児童教育・子どもの教育事業・自然環境保全活動などを支援する団体である。同工房が主催する学術フォーラムは、現代社会で深刻化する様々な社会課題を取り上げ、毎回、各分野の専門家・有識者を招き、講演と対話を通してその解決策を探っている。本フォーラムの第3回は「高齢者医療と経済」。岩尾聡士氏(医療経済学)・中村格子氏(健康医学)・伊藤元重氏(財政学)三名の専門家が登壇し、日本社会の実情に対応した医療のあり方について実践的な議論が交わされた。

岩尾聡士・名古屋大学教授

街全体で看守り、支える

岩尾氏は、中京地域を拠点として「IWAOモデル」を提唱・実践し続けている。これは個々人の人生の最後まで「生活の質」に挑戦する新しい在宅医療システムで、日本のヘルスケア業界にイノベーションを起こすことを目指したものである。

岩尾氏によれば、高齢社会という観点で見た場合、日本は危機的状況にある。都市圏での後期高齢者、特に中・低所得高齢者が爆発的に増加し訪問看護師が圧倒的に少ない。現在、日本は欧米・他のアジア諸国に先んじて、高齢先進国に位置している。

被介護者の急激な増加に比べた医療者の不足を補うため、CBMC、つまり街や近隣住民同士などのコミュニティに根差した医療の仕組みづくりが急務である。すなわち、街全体で高齢者を「看守る」セーフティネットの構築が必要となっている。

中村格子・横浜市立大学客員教授

伊藤元重・学習院大学教授

健康寿命を延ばし、コスト削減へ

高齢者の「いかに健康寿命を延ばすか」、また医療者の「いかに社会の医療コストを削減するか」。中村格子氏はこれら両方の観点から、一人ひとりが日々の暮らしの中で実践できる予防医学の重要性を説いた。

診療報酬(医療保険から医師・医療機関に支払われる医療費)の算定方式改定により、医療者の負担を増すのみならず、一人当たり診療時間の短縮化が懸念されている。また現在の病院の大半では、制度改定でリハビリ治療の細かい棲み分けが施され、合併症の受診はできなくなるほか、通院リハビリの引き受けも行われなくなった。

近年では、高齢者に頻発する大腿骨頸部骨折を治療する人工骨頭が72億円を投じて導入された。こうした骨折を予防しないと、社会の医療コストは増大する一方である。

湯山茂徳・京都大学特命教授(右)

在宅医療・地域包括ケアなど通院以外の方途による医療サービスの充実、ならびに傷病を未然に防ぐ取り組みに置き換えることが必要となる。これにより、社会全体で生じる医療コストの大幅な削減を実現し、社会的費用(財政負担)を抑制することにもつながる。

整形外科の分野では、ロコモティブシンドローム(骨や筋肉などの質運動器が劣化し移動能力が落ちてQoL[生活の質]が低下すること)を無くすため、健康増進を図るスポーツを20-30代から地道に採り入れるのが望ましい。ところが10代は文部科学省による競技スポーツの推奨、60歳以上は厚生労働省による健康増進とに分析され、最も重要な時期である20-60歳は行政管轄上、空白となっている。こうした縦割りが医療費の上昇を招く潜在的要因と考えることもできる。

では、日常から実践できる運動とはどのようなものだろうか。中村氏自身も、効果的な「大人のラジオ体操」をはじめ各種の啓蒙活動に取り組んでいるなか、「歩行習慣による運動機能予防」を提唱する。また家族の健康をケアしているのは母親が多いため、女性の健康はコミュニティの健康につながると指摘する。特に、子どもの運動能力は1985(昭和60)年生まれから傾向的に低下しているため、幼児期の適切な運動(外遊び)も推進する必要がある。

費用と健康情報の見える化を

政府の経済財政諮問会議でも有識者として発言する伊藤元重氏。日本は世界的に見ても財政のかなりの部分を社会保障に充てている国だが、社会全体で見ると人口減少と共に財源は縮小に向かうことから、医療費の伸びを抑えることは、財政赤字を改善するうえで重要と指摘する。年齢・性別を均したSCRレセプト(診療明細)データを基に、分布を都道府県別に析出し、財源の不足する地域には水平的調整を行うことも提言された。その際、行政の自助努力を妨げない制度設計が望ましい。

健康寿命を延ばすために

入院治療の場合、ムンテラ(病状説明)を迎えると、高齢者の家族は自宅療養に消極的となり、介護施設や老人ホームの手当てに奔走する。こうした医療と家族を取り巻く実情に鑑み、予防医療の充実は急務である。

そもそも日本では、患者が医療履歴情報を自分で管理できない現状がある。健康を投薬任せ・医者任せにせず、自ら律する意識を高め、自主的に情報を集め日常に取り入れるなどの健康情報リテラシーを高める必要がある。

また人々が老年期を楽しく過ごせるようにするためには、衣食住に関して高齢者の嗜好に合わせた価値の創造を進めなければならない。この意味で、日本にはジェロントロジー(老年学)の思想を広める必要がある。中村氏の「歳を重ねることが悲劇にならない社会を目指しましょう」との一言は、この構想実現を端的に言い当てている。