2013年8月号
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挑戦 壁を乗り越える技法

ポジティブな映像のイメージ

中村紀洋(DeNAベイスターズ)

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東京ドームで長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を授与された2013年5月5日、ナゴヤドームではプロ入り22年目の男が史上43人目の大記録を達成した。DeNAの中村紀洋は中日と対戦した8回、中田賢一のストレートを左中間に弾き返し、国内通算2000本安打の金字塔を打ち立てたのだ。

常なる準備が生んだ

2000本安打 「プロ野球選手としての証ができました。横浜スタジアムに2000本安打の写真も飾られていますし、プロ野球選手で良かったなと感じています」。

記録の観点のみならず、2000本目の一打には特別な意味があった。中村の代名詞とも言えるフルスイングではなく、ミートを心掛けた当たりだったからだ。

「ヒットを打ちにいってその通りになったということは、ホームランを捨てたらもっと早く2000本を打てたな、と。闘牛は赤いものを見るとバーっと追いかけるでしょ? 僕は白いものを見ると、フルスイングしたくなるんです。この気持ちがある限り、まだ野球をできると思います」。

今季の開幕直前、中村は2000本安打達成を「今年は無理かなと思った」。

開幕戦でスタメンから外れ、将来の4番と期待される筒香嘉智がサードで先発出場したからだ。2戦目も先発した筒香は計8打数無安打に終わり、中村は3戦目からスタメンで起用される。

開幕から苦渋を味わった39歳は、虎視眈々とチャンスを窺っていた。

「誰が試合に出るのか、選手をどう起用するのかを決めるのは監督。ただ、選手は常に準備はしておかなあかん。自分がレギュラーを取るために、どうするかを考えてやるしかない」

紆余曲折の言葉が中村ほど似合う選手は珍しい。18歳でプロ入りしてから現在まで、常人では心が折れて当然の壁をことごとく破ってきた。近鉄(当時)入団3年目の94年後半からサードのレギュラーに定着したものの、常にフルスイングしてきた代償で96年頃から左手首の負傷に悩まされる。ケガを境に成績が下降する選手は少なくないが、中村は前向きな気持ちで戦った。

「バットを振り込んだからこそ手首が悲鳴を挙げて、ポキッと折れた。逆に、『勲章や』と思いましたね」。

最も辛い浪人時代も

前向きに 負傷を乗り越えた中村は00年、本塁打と打点の二冠に輝く。01年には打点王の活躍で、チームを12年ぶりの優勝へ導いた。翌年FA(フリーエージェント)権を獲得し、シーズンオフにアメリカのメッツとの契約が合意間近に至る。

だが、契約寸前で破談になった。

メジャーリーグ移籍をかなえたのは、近鉄がオリックスと合併した翌年の05年だった。ドジャースでの出場は17試合に終わったが、収穫は多かった。

「日本のコーチは教えて何とか一本立ちさせようとするけど、アメリカは逆。選手から『ノックしてください』と言われて、初めて手助けする。野球をやるのは本人。1年で終わるのか、2年目もできるかは選手次第です」。

06年に日本球界へ復帰して以降の野球人生も順風満帆ではなかった。入団したオリックスで負った左手首の負傷を公傷と認めるか、否かで年俸交渉が決裂し、1年で退団する。結局、育成枠で中日に移った。開幕直前に推定年俸600万円で支配下登録されると、勝負強さを発揮して日本シリーズでMVPを受賞した。09年FAで楽天に移籍したが、腰痛や肉離れなどで期待に応えられず、10年限りで契約を打ち切られる。無所属でオファーを待ったが、そのまま11年シーズン開幕を迎えた。

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