勝利へのテイクオフ 苦しみの果てに見出だせるもの

「勝ちたい」と思う心。それが彼の一番の原動力となる。同期が引退し、新しい選手が数多く生まれ、追いかけられてきてもなお、彼は最前線で飛び続けることを辞めない。“レジェンド”葛西紀明は、ただひたすらに輝き続ける。
文・小島 沙穂 Playce

 

葛西 紀明(土屋ホーム スキー部 監督兼選手) 写真提供:土屋ホーム

日本のスキージャンプ界の「レジェンド」と呼ばれる男、葛西紀明。9歳の時にスキージャンプをはじめ、2015年には選手生活34年目を迎えた。一般的にスキージャンプの選手は引退が早いと言うが、彼の勢いは衰えるそぶりさえも見せない。41歳で迎えた2014年のソチオリンピックでは、ノーマルヒル8位、ラージヒル個人銀メダル、団体銅メダルの好成績をマーク。スキージャンプ競技史上最年長メダリストの記録を塗り替えた。その進化し続けるテイクオフは、今シーズンも国内外のスキージャンプファンや若手選手たちを魅了したに違いない。2014-2015のシーズンを終えた今は、次の世界選手権や8度目のオリンピックに向けてトレーニングを重ねている最中。前へ進み続けようとする彼の力は、いったいどこから生まれてくるものなのだろうか。

つらく厳しいトレーニングは必ず自身の力となる

学生時代から2002年のソルトレークオリンピックの頃まで、葛西はジャンプのためにひたすら練習を積み重ねてきた。血反吐を吐くような、周りの人々から心配されるほどハードなトレーニングだった。究極に身体を鍛え上げ、結果、パワーも瞬発力も当時の葛西の右に出る者はいなかった。

「ソルトレークオリンピックは、僕にとって4度目のオリンピックでした。それまでトレーニングをしてきて、フィジカル面も、メンタル面も、最高の状態で臨めたと思います」

しかし、結果はノーマルヒル49位、ラージヒル41位という成績。完ぺきな状態で臨んだにもかかわらず、成績は思いのほか伸び悩んだ。

「これだけトレーニングをして、身体を仕上げたはずなのに、ダメなのか。それまでで一番の挫折を味わいました。このまま勝てなかったら、という不安を強く感じました」

何年も、何年も信じて積み上げてきたものが、通用しないという焦り。あと一歩、違う何かが必要だった。

つらさを知っているからこそ前へと進み続けられる

ソルトレークオリンピック後、新しくフィンランドからコーチを呼び寄せた。新コーチの指導するトレーニングは、ひたすら量を重ねていた頃と比べるとコンパクトな、3分の1程度の量に減少。効率よく質の高い訓練を行えるようになった。心機一転、0から吸収してやり直そう、と考えた。結果、次のトリノオリンピックではノーマルヒル20位、ラージヒル個人12位、団体6位と順位を大きく上げた。新コーチは、がむしゃらにトレーニングを重ねずとも強くなれることを教えてくれた。しかし、2002年以前の過酷なトレーニングにも間違いはなかった。葛西は今もそう感じている。

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