変革に挑むドリブラー

クールな風貌と華麗なプレーで日本フットサルリーグ・Fリーグで屈指の人気を誇る稲葉洸太郎。彼は、まだフットサルのプロリーグのない時代に個人スポンサーを自力で見つけだし、プロになった経歴を持つ。そして一度は日本代表から外されながら、2年間、リーグ戦で圧倒的な結果を出し続けて代表に復帰した。この不屈の男が挑む新たな壁とは?
text by 川内 イオ photo by 吉場 正和

 

稲葉 洸太郎 プロフットサル選手・日本代表

今年5月、アジア各国が集うAFCフットサル選手権で日本代表が優勝し、史上初の2連覇を達成した。決勝のイラン戦、1点ビハインドで迎えた後半6分、日本がFKから同点に追いついて反撃の口火を切ったが、そのゴールを決めたのが稲葉洸太郎だ。稲葉は準決勝のクウェート戦でも先制点を挙げるなど、文字通り日本代表をけん引する働きを見せた。

学生時代、21歳で日本代表に招集された稲葉は、07年に日本フットサルリーグ・Fリーグが創設されて以降も、常に第一線で活躍してきた。08年のブラジルワールドカップ、12年のタイワールドカップで計5得点を挙げ、日本代表のワールドカップ最多得点者でもある。今年32歳を迎えるが、日本フットサル界を代表する選手のひとりであり続けている。

どんな競技でも10年間、トップレベルを保つのは簡単なことではない。稲葉にはなぜ、それができるのか。

そこには、彼の突破力があった。試合の時、得意とするドリブルで何度も難局を打開してきたように、人生でも果敢に仕掛けて切り開いてきた。

プロリーグのない時代にプロ宣言

21歳の稲葉は悩んでいた。

高校時代のサッカー部の仲間と組んだフットサルチームが各地の大会で優勝するようになり、当時史上最年少の21歳で日本代表に招集された。それ自体は喜ばしいことだったが、大学3年生といえば就職活動を始める時期でもある。海外遠征で1ヵ月も日本を離れたり、代表の練習に打ち込んでいる間に、同級生はどんどん就職活動を進めていた。

「俺、どうしよう」

それが正直な気持ちだった。

しかし04年、AFCフットサル選手権に出場し、ワールドカップ(当時はFIFAフットサル世界選手権)の出場権を獲得した時に、覚悟を決めた。

「当時、僕以外はみんな24歳以上だったんですが、大人たちが日の丸の重みを感じて、ワールドカップ出場権を掴みとって感動して泣いて、大はしゃぎしていたんです。その姿を見て、当時はみんなアマチュアだったけど、みんな真剣ですごく熱い世界なんだって初めて実感しました。それで、自分の世代は僕しかいなかったんで、僕がこの流れを止めたら下の世代に続かないし、代表して盛り上げていかなきゃいけないんだなと思ったんです」

「勝手に使命感を感じた」という稲葉が出した答えは「プロ」だった。この結論に周囲は困惑した。前述したようにフットサルのプロリーグが始まったのは07年のことで、04年の時点で日本にフットサルのプロ選手は存在しなかった。ほかの日本代表選手は、仕事を辞めたり、アルバイトをしながら大会に参加していた。

そんな時代のプロ宣言。

当然のように親も友人は心配した。しかし、気持ちはぶれなかった。

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