石坂産業 産廃会社の逆転劇、年間5000人が訪れる里山に再生

「自然と共生する、つぎの暮らしをつくる」をミッションに掲げる石坂産業。社長の石坂典子氏は、創業者である父から受け継いだ事業に対する信念をもとに、ゼロ・ウェイストの実現を目指した事業や環境教育など、新たな価値創出を導いている。

石坂産業(埼玉県三芳町)の本社にほど近い埼玉県所沢市産の野菜からダイオキシンが検出されたとの報道があったのは、1999年2月のこと。マスコミの報道が過熱し、「ダイオキシン騒動」ともいえる状況になった。石坂産業は、地域の産廃業者というだけで疑いの目を向けられ、地域からの退出を求める住民運動が起こった。ダイオキシンが出ない焼却設備を備えていたにもかかわらずその廃棄処分を迫られ、社員の4割が去っていった。

会社の存続さえ問われる苦境の中で当時、営業本部長だった石坂氏は先代の父から事業への思いを幾度となく聞くようになった。「廃棄物の埋め立てに歯止めをかけ、ごみをごみにしない社会を作りたいという思いで事業を始めたのに理解をされないとこぼす言葉から初めて父の思いを知り、そのビジョンを継いでいく役割を担いたいと強く思うようになりました」。その後、父に自ら志願して2002年に社長に就任する。

石坂 典子(石坂産業 代表取締役社長)

信念に基づき大胆な投資も

社長就任後、石坂氏は「家業から企業へ」の転換を目指して動き始める。就任後もしばらく代表権のある会長として残った父とは毎朝、経営の相談の時間を設けていたという。「会社を変えていきたいという思いを伝えても、説得できなければ却下される繰り返しの中で鍛えられていきました」と振り返る。社会に欠かせない事業であるはずなのになぜ負の側面ばかり語られることが多いのか。そのイメージを変えようと、石坂氏は「100年先、自然と共生するために」という新たな使命のもと、次々に新たな手を打っていった。

中でも、それまで屋外で行っていた土砂や廃コンクリートや廃プラスチックなどの分別・分級作業をすべて屋内に封じ込める投資は、当時の売上高の約2倍にあたる40億円を要した。思い切った決断に社内からの反発もあったが、地域に対して音や粉じん、においなどをできるだけ漏れないようにするとともに、社員の労働環境も変えたいという強い思いがあった。

石坂産業では、いち早く産廃処理工程の屋内化に取り組んだ

「大切にしたのは、会社で取り組んでいることが、社会課題を解決する仕組みになっているかを常に問うこと。それがしっかり見えたときは思い切った投資をするということを自らの判断基準にしてきました。借金は増えますが、それが社会をよくするための借金であればよし、と。社内からの反対はありましたが、最終的には経営者として決断しました。経営は決断の連続だということも、先代の姿を見て学んだことでした」と振り返る。

 

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