「士魂商才」の伝統が生んだ、個性あふれる鹿児島ブランド

自然、歴史・文化、一次産品とその加工品で強烈な個性を持つ鹿児島県。地域資源を活かしたイノベーティブな取り組みは今も各分野で進行しているが、人口の社会減など、克服すべき課題も数多く存在している。

桜島、西郷隆盛、黒豚、サツマイモ、かつお節、黒酢、芋焼酎、さつま揚げ...と聞いた瞬間に鹿児島県を想起し得ない日本人は、果たしてどれだけいるだろうか?

自然、歴史・文化、一次産品とその加工品に関して、同県ほど存在感が大きく、人びとに強烈な印象を与えるところは他にないと言って過言ではない。とにかく、ひとつひとつの個性が“濃い”。その要因・背景は何なのか?

鹿児島産品が個性強烈な理由

鹿児島県と言えば、一般的には、西郷隆盛を筆頭とする幕末維新の志士たちで有名だが、実は、“士魂商才”の伝統が何百年も息づく土地柄である。

特に、江戸時代には、島津氏率いる薩摩藩支配の下、幕府(や他藩)に対する徹底した情報鎖国政策を取り、「幕府の隠密・密偵は薩摩藩に入っても決して生きては戻れない」ということで“薩摩飛脚”という言葉が生まれたほどだ。

そして、その政策の下、支配下に置く琉球王国(現・沖縄県)を通じた清国(や東南アジア諸国)との密貿易により、経済的実力を蓄え、それはやがて、倒幕・維新の原動力となってゆく。

サムライ魂を有しつつ商売上手だった鹿児島県人の“商才”は、しかし、「モノを売る技術に長けていた」という以上に、実は、「独自性・異質性・新奇性の高い“売れる商材”を創出する力にあった」と筆者は考えている。

17世紀初頭(江戸初期)に、清国から琉球を経て薩摩藩に初めて黒豚がもたらされ、以来400年、いくどとなく品種改良を繰り返し、やがて「黒豚」は、国内外で“薩摩の黒い宝石”と絶賛される、鹿児島県を代表する地域ブランドへと成長した。

また、紀州(和歌山県)で生み出された「かつお節」は、18世紀初頭、薩摩に伝えられ、枕崎を中心に独自の発展を遂げ、今や世界を席捲する「和食」のベースとして、日本最大の生産量を誇るまでになった。

そして、「芋焼酎」。17世紀初頭、フィリピン・清国・琉球を経て薩摩にもたらされたサツマイモをもとに、焼酎作りが開始され、特に明治維新以降の近代化の中で、技術革新を繰り返し、現代の薩摩芋焼酎へと発展した。

奈良時代に淵源を有し、江戸時代に薩摩(特に現在の霧島市福山町)で独自の発展を遂げた「黒酢」も同様だ。

現代の鹿児島県が誇る個性強烈な1次産品やその加工品群は、いずれも、江戸時代以来の絶えざるイノベーションの結果生み出された唯一無二の存在なのである。伝統にあぐらをかくことのない同県産業界にあっては、今も、各分野でイノベーティブな取り組みが行われている。

黒豚の名声の陰に隠れがちであるが、実は、同県は、日本最大の黒毛和牛生産県であると共に、黒毛和牛輸出においても“日本のパイオニア”として26年も前から海外販路を開拓し、輸出シェア4割を占める日本のトップランナーとなっている。曽於市の南九州畜産興業はその代表的企業である。

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