現代に活かす「三方よし」の経営精神

廣池の三方よしの図式 カッコ内は近江商人の場合

「三方よし」の言葉の由来

「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」は、近江商人の経営理念として知られているが、この言葉が江戸期から明治期にかけて活躍した近江商人たちが使っていたものではないと言えば、意外に思われる方も多いであろう。実際のところ、近江商人の経営理念としてこの言葉が初めて登場するのは、滋賀大学教授で近江商人の研究者として知られる小倉榮一郎氏が昭和63年(1988)に出版した『近江商人の経営』の中で「時代は下るが湖東商人の間で多く聞く」と短く記述している部分であり、それ以前の文献等には見当たらない。その後、近江商人に対する社会的関心が強まる中でキャッチフレーズ的に急速に広がっていったものである。

一方、私が勤務する麗澤大学および公益財団法人モラロジー研究所の創立者である法学博士廣池千九郎(1866 -1938)は、すでに昭和の初期に「自分よし、相手よし、第三者よし」という形で「三方よし」という言葉を使用しており、廣池に師事した多くの人々の間に広がっていたことが確認されている。廣池の教えを学んだ経営者の中には「三方よし」を経営理念とする者もおり、代表的な例としては、大手計量機器メーカーである(株)イシダ(京都市)が戦後まもなくのころから「三方良し」を経営理念として掲げている。

私は、廣池の教えを学んだ人々の間で使われていた「三方よし」という言葉に滋賀県内のどこかで小倉氏が出会い、それを近江商人の経営理念を端的に表す表現として援用したのではないかと推測し、その論証を『日本経営倫理学会誌』第19号(2012)に発表した。廣池の考えと小倉氏との接点については残念ながら確認できていないが、状況的にはその可能性が高いと考えている。

ただし誤解を避けたいのは、近江商人の中には「三方よし」の考えに通じる優れた経営理念や事業活動が数多く見られることは間違いないということである。ここで確認しておきたいのは、「三方よし」という表現自体が歴史的には存在していないという点であり、実際には近江商人の間では「陰徳善事」「自利利他」「利は余沢」などという他の素晴らしい言葉が数多く受け継がれてきた。

廣池千九郎(1866-1938)。道徳の科学的研究としてモラロジー(道徳科学)を提唱し、昭和初期に「三方よし」の考えを広めた。

廣池千九郎の道徳経済一体思想「三方よし」との関係

廣池千九郎は、郷里である現在の大分県中津市で教員生活を送った後、歴史研究に志し、独学で研究を重ねた結果、東洋法制史という新しい学問分野を開拓し、大正元年(1912)東京帝国大学より法学博士号の学位を授与されるに至った。その後大病をきっかけに道徳の科学的研究に転じ、新しい学問領域としての「モラロジー(道徳科学)」を提唱した。その要諦は、一般的な道徳(普通道徳)では不十分・不完全であるとして、道徳実行における精神を重視した質の高い道徳を最高道徳と規定し、最高道徳を実践することによる品性完成の重要さを説いた。そして品性の向上が、個人の幸福と社会の平和・繁栄の基礎であるとした。

廣池は、人間にとって道徳が精神生活における柱であり、経済が物質生活の柱であり、この両者は本来一体のものであり、また一体のものでなければならないとする道経一体思想を展開した。この思想に基づいて、企業経営においては経営者の品性が何よりも重要であり、道徳性を重視した経営を行うことで永続的な企業の発展が可能になると説いている。

「三方よし」の考え方については、廣池に師事した多くの人々が回想録の中で廣池の教えとして「自分よし、相手よし、第三者よし」という形で「三方よし」を繰り返し取り上げていることから、廣池が昭和初期に道徳実践における重要な指針として頻繁に用いていたものと考えられる。

その要点は、道徳実行の際に直接の相手のことだけを考えて行動して、第三者に対する配慮を疎かにしてしまう傾向にあるため、自分・相手方・第三者の三方にとっての利益となることをよく考えて行動することが大切であるという点に置かれた。相手との二者関係で道徳行為を捉えた場合に、見過ごされがちな第三者への配慮を強調するものである。

こうした考え方を端的に表しているのが、廣池の主著『道徳科学の論文』の中にある「最高道徳は自己・相手方及び第三者のいずれにも幸福を与うるを目的とする」という一節であるが、同書の中ではこのような三方に対する配慮の必要性がたびたび登場する。経済活動においても「自利利他」という二者関係を超えた、社会を含めた第三者の利害に対する配慮が説かれている。

『道徳科学の論文』初版本(廣池千九郎著)

現代における「三方よし」の意義

「三方よし」の考え方を経済分野に適用したものとしては、『道徳科学の論文』における以下の記述が最も参考になると思われる。

「完全なる経済学および経済組織は、必ずや(一)自己、(二)使用人、(三)原料もしくは商品の仕入先、(四)販売先、(五)需用者、(六)一般社会(需用者の喜ぶことにても一般社会を害することあり。故に需用者と一般社会との利害必ずしも一致せず)及び(七)以上全部を統制するところの国家に対して、その各方面がおのおの相当の利益を得る如くに組織されておらなくてはならぬのであります。」

このように企業をとりまく多様な関係者の利益を尊重するという考え方は、現代の経営倫理の中心理論であるステークホルダー(利害関係者)理論に通じる考え方である。欧米においてステークホルダー理論が本格的に登場するのが一九七〇年代以降であることからすれば、廣池はかなり早い時期にそれに近い発想を持っていたことになる。

廣池の「三方よし」における第三者には、直接の取引先以外の幅広いステークホルダーが含まれており、多様なステークホルダーに対する配慮を求めるものであるが、それは現代の文脈においては、顧客のみを過度に重視する経営に対する警鐘であると捉えられる。

現在、多くの企業が顧客満足度の向上を経営戦略の柱に据えている。顧客満足度を高めることで売り上げを増進するという戦略は、「売って喜び、買って喜ぶ」の世界であって、一見するとよい経営のように思われるが、もしかりにそれが第三者の犠牲の上に成り立つとするならば、潜在的な問題を内包していることになる。例えば顧客獲得のために、コストを切り詰めて価格の引き下げを図るという手段が日常的にとられている。これは低廉な商品を求める消費者のニーズに応える企業努力であるとみなすこともできるが、往々にしてそのしわ寄せが従業員や下請け企業といった他の関係者に押し付けられるということが起きている。いわゆる「ブラック企業」批判などはそれが表面化したものと言えよう。またコストカットは、必要な環境対策や安全対策にかける必要不可欠な費用の削減にもつながりかねない。こうした行動は結果として社会に害を及ぼす可能性があり、先の廣池の文章の中にある「需用者の喜ぶことにても一般社会を害することあり。故に需用者と一般社会との利害必ずしも一致せず」という注は、まさにこうした状況に対する鋭い指摘である。

表面上は「お客様のために」としながらも、顧客満足を実際には自社の利益追求の手段としてしか考えていないというケースも当然ありうる。顧客のみを優先して考える戦略は、短期的には顧客の獲得と利益の増加につながるかもしれないが、長期的にはいずれかの関係者に負担が偏ることによって、そこに歪みが生じる。不満の増加や業務過多による手抜きなどが原因となって、品質の低下や思いがけない事故の発生といった潜在的なリスクを高めることになる。現実にも、処遇に不満を持つ従業員による異物の混入や、下請企業の製品管理の不備による事故の発生といった事態が起きている。こうした事態の発生によって生じる社会的信頼の喪失が生み出す不利益は、コストカットによって得られる利益とは比べ物にならないほど大きい。

いずれかに過剰な負荷がかかる経営体制が、問題の一因となっていることは間違いない。「三方よし」の理念は、このような近視眼的な経営に対する警鐘として、現代においても重要な意味を持っている。

持続的経営の追求

創業から一〇〇年以上を超える日本企業の数は、諸外国と比べて圧倒的に多い。これら老舗企業には、顧客や取引先、従業員、地域社会、国家といった多様なステークホルダーを大切にするという理念を家訓の形で継承しているものも少なくない。実際の事業活動においても、自社の利益を追求するだけではなく、本業を通じて社会に貢献し、また商売で得た利益を地域社会などに還元することによって、多くのステークホルダーから社会的信頼を得ており、それが持続的経営を支えてきた。

いずれの企業も、社会情勢の変化などに伴う危機の時代に直面し、自己変革を通じて生き延びてきたという経験を多かれ少なかれ持っている。そうした危機の克服においては、取引先や従業員、地域社会といったステークホルダーからの協力と支援が、大きなカギを握っていた。そのような多方面からの支援が得られたのは、企業の経営理念と事業活動が社会から広く受け入れられ、支持されてきたからに他ならない。言い換えれば社会的価値、CSV理論における共有価値を持続的に社会に提供し続けたことによって、その存在が認められ、存続することができたと考えられる。

「三方よし」の経営の要点は、多様なステークホルダーに対して調和のとれた配慮を意識することで、信頼に基づいた持続的な関係を築いていくことにある。廣池は、短期的に急激な拡大を求める姿勢を戒め、永続的経営を「末広がり」の経営として表現して、その実現のための道徳的経営を強く主張した。それは社会全体の調和を重視する考え方に基づくものであり、松下幸之助ら日本を代表する優れた経営者が説いてきた「企業は社会の公器」「共存共栄」という理念にも通じる。

このような長期的視点に立った調和的発展を重視する考え方は、マクロ的に見れば人類社会の持続的発展につながり、ミクロ的に見れば企業の持続的経営ということになる。いずれの場合も永続性という価値をその根底において共有しているという点で、日本の伝統的価値観に根差すものであり、同時に世界に向けて発信するに値する理念であると考える。

大野 正英(おおの・まさひで)
麗澤大学経済学部准教授
公益財団法人モラロジー研究所道徳科学研究センター センター長

 

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