奇跡の酒「獺祭」を生んだ信念 逆境の中にある「王道」を行く

山口県の山奥にある小さな酒蔵。「杜氏のいない酒造り」など、業界の常識を覆すことで急成長を遂げてきた。桜井社長は、「おいしいお酒を造りたいだけ」と哲学を語る。

旭酒造は、杜氏のいない酒造りを実践。「杜氏の経験と勘」と言われていた部分を見える化し、徹底して数値管理。科学的な手法で「こだわりの酒」を造ることに成功した

山口県岩国市周東町獺越。人口減少にあえぐ過疎の地に、旭酒造はある。「地名より、獺祭という銘柄のほうが有名なんじゃないですか」と語るのは、旭酒造の三代目社長・桜井博志氏。社長就任後、「おいしい酒をつくりたい」という一心で酒造りに取り組んできた。

桜井博志(旭酒造 代表取締役社長)

誰でも地元の酒は飲んでみたい

桜井社長が酒蔵を継いだのは、1984年のこと。もともと旭酒造は地元市場をターゲットにしていたが、地域人口は減少するばかりで販路拡大は見込めなかった。

「私が会社を継いだ当初は、前年比85%の状態でした。しかも折からの焼酎ブームで、日本酒そのものの市場規模も縮小傾向。周囲に買ってくれる人がいないのですから、マーケットを周東町だけに絞っていたのでは食べていけません。かといって岩国市や広島市で競争をすれば、少ないパイを奪い合うだけ。最終的には値引き合戦となり、資金力で負けてしまいます。小さなマーケットを奪い合っても、結局は勝てない。それなら、まだ入り込む余地のある大きなマーケットの一角を狙うべきだと考えました」

国内最大のマーケットである東京には、新しいものへの許容力がある。自ら営業に回るなかで、確かな手応えがあった。東京進出を支えてくれたのが、東京の山口県出身者だった。店に入り、自分の出身地の酒があれば飲んでみたくなるのが、人間の心理というもの。「山口県の銘柄酒」が少なかったことも幸いした。東京の求めに応じて造った純米吟醸酒は、地元の地名から一文字もらい、「獺祭」と名付けた。この新しいブランドが徐々に広まり、酒蔵経営は軌道に乗ったのである。

旭酒造は、岩国市周東町に拠点を置く「山奥の小さな酒蔵」。現在、増産に向けて酒蔵の増築も進んでいる

杜氏のいない酒造りを実現

東京進出の次は多角経営。桜井社長は、飲食店経営と地ビール事業へ参入する。しかし結果は惨敗。多額の借金を抱えることとなった。さらに悪いことは続く。経営難を聞きつけたのか、杜氏が他の酒蔵へ移ってしまった。他社の杜氏を引き抜くことも考えたが、杜氏の平均年齢は60~70歳。高齢化が進んでおり、それでは先細りするのが目に見えていた。

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