決して満足しない毎日が、年齢の壁を破る。
2000年代の日本サッカーシーンの躍進の立役者の一人が、日本代表DFの主軸であり続けた中澤佑二だ。03年、横浜を年間優勝に導き、04年以降日本代表のレギュラーに定着。06年ドイツW杯での苦杯、10年南アフリカW杯での「無敗」(最後はPK負け)でのベスト16進出という躍進。その中心に中澤の姿があった。そして今、トップコンディションを保ったまま2013シーズンの優勝を目指している。
Text by Io Kawauchi Photo by 吉場正和
35歳のJリーガー。
この言葉の響きから、どんな選手の姿を想像するだろう。恐らくは、キャリアの最終コーナーを周り、引退というゴールに続く最後の直線を走っているベテランというイメージを抱く人が多いのではないだろうか。
しかし、現実には常識を覆すような選手もいる。今季のJリーグで首位を走る横浜F・マリノス(11月16日の取材時点)で、絶対的な守備の要としてディフェンスラインに君臨している中澤佑二は、その代表格だ。中澤といえば、2010年の南アフリカワールドカップで見せた鬼気迫るプレイを記憶している方も多いだろう。あれから3年半が過ぎ、中澤は今年2月に35歳を迎えたが、ワールドカップ当時と現在を比較しても、ほとんど衰えが感じられない。身体能力ではたしかにピークは過ぎているだろう。しかし、それを補って余りある鋭い読みを備え、凄みを増した感すらある。
サッカー選手は全員がライバル。空き時間の使い方で差をつける。
35歳にして今なお進化する中澤のプレイは、どうやって生み出されているのか。その源は、彼のコンプレックスにあった。
中澤は自分をこう評する。
「僕は常に才能がないと感じているんですよ。僕はサッカーが盛んな町に生まれてないし、サッカーを始めたのは小学校6年生から。中学校、高校なんてスパルタで、先輩が怖い、先生が怖いってビビりながらやってきた。そういう人間が、小さい時から良いクラブで良いコーチに教わって、サッカー中心に生活をしてきた人たちと同じ土俵で争った時に、やっぱり違いを感じますよね。ボール扱いなら僕より上手い選手なんてざらにいる」。
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